伝説や歴史逸話に彩られた物語の地、鋸南町

都心から車で約90分。
名勝としても知られる鋸山の南側に位置し、
年間を通じて温暖な気候と豊かな自然に恵まれた鋸南町。

「食欲の秋」や「スポーツの秋」など、色々な秋がありますが
今回は「文化の秋」をテーマに、神代から戦国時代まで、
ここ鋸南町に残る数々の伝説をご紹介します。

 

~源頼朝再起の地~
■源頼朝伝説■
治承4(1180)年8月、石橋山の戦いで平氏軍に敗れ山中へ逃亡した源頼朝は28日に同国土肥郷の真鶴岬から小船で脱出。 わずかな供を連れて、安房の平北郡猟島(現在の鋸南町竜島辺り)に上陸しました。頼朝が上陸したとされる場所には現在、「源頼朝上陸地」の石碑が建立されています。
また鋸南町ではこの史実にちなみ、早咲きの河津桜を「頼朝桜」と呼び、花が咲くシーズンには頼朝桜まつりを開催しています。

~頼朝とつのなしサザエ~
竜島に上陸する際、あやまってサザエを踏んで怪我をしてしまった頼朝は、さいさきの悪いこの出来事に「竜島のサザエに“つの”など無くなってしまえ」と怒ったといいます。それ以来、竜島のサザエには、つのが無くなってしまったそうです。

~頼朝がくれた姓~ 
竜島に逃れてきた源頼朝を手厚くもてなした村人に頼朝は、「我、天下を取らば、安房(あわ)一国(現在の千葉県南部)を与えよう」と言いました。それを聞いた村人は、安房一国を穀物の粟一石と勘違いし、「粟一石は裏の畑でもとれます、それより姓を賜りたい」と答え、頼朝は村人の無欲さに「そうか、ばかだなぁ」と言いました。それを聞いた村人は頼朝から姓を授かったとまたもや勘違い。「左右加 (そうか)」「馬賀 (まが)」などと名乗るようになったということです。

みさご島             浮島

 

~夫への愛を伝える島の物語~
■みさご島伝説■
その昔、大和朝廷から東国平定を任された「日本武尊 やまとたけるのみこと」が、内海(現在の東京湾)を渡ろうとした際、突然の大嵐で船が沈みそうになりました。その時、妃の「弟橘媛 おとたちばなひめ」が海に身を投げ、海神の怒りを鎮めたといいます。姫のなきがらが流れ着いたのが、竜島海岸にある「みさご島」と言われています。姫の操をたたえかつて「操島」と呼ばれた島は、その後「陵:みささぎ」となり「みささご」、「みさご」と呼ばれるようになりました(諸説あり)。

~鋸南町勝山の浮島は日本料理発祥の地~
■浮島伝説■
浮島は、勝山漁港の目の前にある周囲約780mの無人島。東国平定を成し遂げた「日本武尊 やまとたけるのみこと」の死後、亡き皇子と同じ旅路をたどり、弟橘姫の供養も兼ね、勝山の浮島にやってきた父の景行天皇は、この島が気に入りしばらく滞在しました。この時、家臣の「磐鹿六雁命 いわかむつかりのみこと」が料理の腕を振るい、天皇を喜ばせたと言います。
景行天皇から諸国の膳夫(かしわで・料理人のこと)の長として、天皇家の料理をつかさどることを命じられた「磐鹿六雁命」は、のちに料理の神様として浮島神社に祀られました。鋸南町勝山の浮島はいわば神代における日本料理発祥の地でもあるのです。

ちなみに、この「磐鹿六雁命」を祭神とした南房総の千倉にある「高家神社 たかべじんじゃ」では毎年、春や秋の例大祭など年3回、この伝説にちなんだ宮中行事である「包丁式」が行われています。武家装束の烏帽子と直垂(ひたたれ)をまとった庖丁人が、庖丁とまな箸を器用に使い、食材に一切手を触れることなく地元の魚介をさばくこの儀式は一般の方でも見学可能です。

 

竜島海岸は、当グループの「さざね」の目の前に広がるビーチです。
また浮島・みさご島は、「さざね」および「みささ」から
ご覧いただける海上の小島です。
さまざまな逸話の舞台を旅する、秋のひとときをお楽しみください。

 

画像参照:
千葉県サイト(https://www.pref.chiba.lg.jp/index.html)
鋸南町サイト(https://www.town.kyonan.chiba.jp/)
まるごとe!ちば(https://maruchiba.jp/)
南房総 花海街道(https://hanaumikaidou.com/)